文豪。


なんて甘美な響きなんだろう!文豪という言葉にハマっている。


常々思うのだけど、僕が出会った中で、ああ、この人は頭がいいなぁと感じる人の共通事項は、幼い頃から読書習慣がある人なんだよね。

理由は深く考察していないけど、自分自身も物心付く前から、寝る前は母親に一冊読んでもらっていた習慣があったり、父親から素敵な歴史小説をおすすめしてもらったりしたもので、読書の習慣はとても大事だなと改めて感じている。


さてさてそんな前提がありながら、最近はメディア関係の人たちと会うことが増えてきておりまして。

そうなると当然、報道とは、インターネットとは、出版とは、雑誌とか、メディアとは、、、おすすめの本は?という話題があがったりするものです。

関係ないけど、僕は勝手にその人たちのことを未来の文豪だと心の中で思っている。まぁ文豪の定義はそれぞれだろう。ここでは、メディア関係で尊敬に値する人のことを文豪と呼ぶことにします。


中学生のとき、図書室で本を借りているランキング1位になったことは自分の誇りの一つなのだけど、通ってこなかった道がいくつかある。

その代表的な作家が、村上春樹。

振り返ってみると、基本的には男臭い話が僕は好きで、三島由紀夫とか、司馬遼太郎とか、谷崎潤一郎とかを好んで読んでた気がする。


なんか、村上春樹は、おしゃれに感じて、むず痒かったから、敬遠していた。


って思ってたら、複数の文豪たちが村上春樹の話をしていたし、好き嫌いはさておき読む価値はありますと推薦された。

何が面白いの?聞いたところ、言葉遊びが面白いとのこと。


ま〜ウィットに富んだ言葉のチョイスができている映画はすごく好きだよなって思うし(Knockin' on heaven's door、007、ダイ・ハードみたいな映画のセリフ大好き)、そういう軽い気持ちで読んでみた。


"四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて "


10分もかからずに読める短編だったので、気持ちも楽だった。


あらすじを端的に書くとこんな感じだ。


主人公の僕は、原宿で100%の女の子とすれ違う。

100%の女の子は、50メートル先から見てもちゃんとわかる。

だけど、声をかけることなんて当然できなくて、後から僕はどう声をかければよかったのだろうか?と後悔をする。

その体験を友達に、本来だったらこう声をかけるべきだったと語る。

そして、時は経ち偶然にも2人はまたすれ違う。

"


読み終えて、共感したポイントは

”彼らの言葉はもう十四年前ほど澄んではいない。”

という一節の前後でした。


いや〜わかるなぁ〜って思っちゃった。


昔から、男女関係っていうのを、よく理解できなかった。

じゃあ、僕は”澄んでいない”のか?と問われたら、それはまた、僕なりに信念があるので、澄んでいるつもりではある。

むしろ、その辺の誰よりも深く考察しているし、検証もしてきたから、とびっきり澄んでいる自信がある。


しかし、心のどこかで僕が考察して検証した、”澄んでいる”と、先入観によって感じ取れる”澄んでいる”には、大きな違いがある。


"澄んでいる" という先入観は怖いなと思った。


僕には僕の純粋さがあって、あなたにはあなたの純粋さがありますね。


って感覚で生きていこうと思いました😌

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