目に見える景色には、感情というフィルターがかかっていると思う。
いつでもありのままの姿を見せる自然に対して、美しいと思うのも、汚れて見えるのも、はたまた何も感じないのも、すべて自分次第だからだ。
一昨年の秋、定時であがって帰宅するとき、きれいな夕焼けを見ながら、窓を開けて車を走らせていた。涼しい風を浴びて開放的な気持ちでいると、信号待ちで前の車から大音量の「ドライフラワー」(失恋ソング)が聞こえてきた。その時、前の人はこの空をどんな気持ちで見ているのだろうと考えた。恋人と別れ、悲しみに打ちひしがれている中で輝く光景は、心を慰めてくれていたのかもしれないし、逆に、恨めしかったかもしれない。あくまで予想ですが。
うれしいことであれ、悲しいことであれ、自身の感情と重ね合わせて見る景色は、その人だけのものになる。私といることで、どんな小さなことでも奇跡みたいに見えると言っていたあの人を、私は大切にすべきだったのかもしれない。
