斜め上をいったような正義感をもつ子ども時代だった。
悪気なんてなく、自分の中にある正義にまっすぐ、忠実だった。
多くの差別はステレオタイプから生まれるんじゃないだろうか。
悪気なんてない。自分の思う普通が、社会が思わせる普通が差別を生む。
無意識に人を傷つける。
最近、性の多様性について考えさせられる。
だいぶ前の話。
カミングアウトしてくれた友人に私はどう接すれば良かっただろうか。
性のあり方はとっても広くて、考え方も人それぞれ。
あの時、私は無責任にも明るくポジティブに自分の意見を伝えた。
戻れるものなら戻りたい。
あの子は、そんな意見を聞きたかったわけじゃないと思うのだ。
性別とかそんなの関係なく、私が1人の友人として君のことが大好きで尊敬していると、伝えるべきだったのじゃないだろうか。
想いは目には見えない。
どんなに心で想っていても、相手からしたら形にした物が全てなのだ。
あの時、私が形にするべき想いは、あの子に対する大好きと尊敬だったはずなのだ。
あの時には戻れないけれど、私は心に決めている。
「らしさ」という型にはめず、その人として、向き合えるような人になろう。
そんな人になれるよう自分を育てていきたい。
