母のことを思うと、決まって3つ

特に思い出すことがある


子どもの頃、

子どもでも大人でもなかった頃

大人になりかけの頃


一つは小学校の頃

小学校の途中で母は専業主婦だったので

家に帰るといつもお菓子を作ってくれていた

ちゃんと体に良い感じのやつ

田舎なので小学校から家まで、低学年の頃は

歩いて40分弱かかった

あまりにも長くてへとへとで、

近道もなければ坂道もない、家ばかりの平坦な道

海の方も通らないしつまらなくて、

帰りに母にあげようと花を摘んで帰った

道路と歩道の間に咲いているような

わざわざ人が名前を調べないような花

そういうのを摘んで、小さな手いっぱい摘んで

友達とばいばいってしてから

じっくり選んで摘んで、母にあげていた

花が好きな人だった

だった、というか今も好きだ

ずっと花が好きな人で、生まれてずっと花が

身近にあったから、私も花が好きだ


初めて摘んで帰った日の嬉しそうな顔を

今でもすごく覚えている

その花を押し花にして写真立てに飾っているのを実家に帰って目にするたび、なんか泣きそうになる



次に中学校の頃

私はとにかく学校に行けなかった

2年のときは特に、本当によく休んでよく泣いた

毎日泣いた なんとか行ったかと思えば保健室で、

大人しくしているかと思えばずっと静かに泣いていて、3つあるベットの1つは私がずっと占領しているもんだから、中途半端に保健室に来た人はみんな追い返されていて申し訳なかった 喋らないし恥ずかしがるし手がかかることこの上なかった 

昔から心が躰に出やすい質で、弱り切っていた心は躰を蝕んで、何も食べられなくなった

飲み込めなくてどんどん食べられなくなって、食べたら戻して、飲むゼリーが限界だった 中2の夏休みは、家でソファに座って長い時間をかけて飲むゼリーを食べたことと、水玉のミニのワンピース着て好きだった人に、当時の彼に図書館に会いに行ったことしか覚えていない 結果はというと逆流性食道炎で、こんな若い子がなる病気じゃないからストレスですと言われた す と れ す と、なんかばらけた言葉が頭にゆっくり飛び込んできて、ああ、そうかと思った 夏休みが終わってなんとか教室に行くようになって、でも給食なんてとてもじゃないけど食べられないから昼休みは毎回保健室で食べて、ぶどうとかキウイとか そのあとの授業はもちろん教室になんて戻れなくて、ずっと保健室にいた

当時私のことが好きだった女の子が私の彼とずっと一緒に居て、見ていられなかった

まあそれは一部でもっといろんなことがあった


夏を越す前、6月頃

本当に学校に行けなくて、

成績良かったのに行かなくなって、

行かないじゃなくて行けないのだと

母は分かっていた

その頃はもう働いていたから昼はいなくて

犬の横に座って何時間もかけて飲むゼリーとか

ポカリとか飲んでいた 

行けない私に母は怒らなくて、

本当に何も言わなかった

あの当時心が本当にまいっていて、母と車で

出かけるときは後ろに座って横になっていた

病院とかスーパーとか、それくらいの距離でも


土日休みだった母が、ある日平日に休みを取って

私に出かけようと言っていた

いつか記憶からこぼれおちるとしても

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