もう二度と会えない作品。
ホーツーニェン Ho Tzu Nyen
の『旅館アポリア』
あいちトリエンナーレが終わってもう2年が経とうとしているけれど、未だにあの作品を忘れられない。
二度と会えないとわかっているのに。
作品の展示場所だった気楽亭という施設は、豊田市の近代和風建築で、以前は料理旅館として利用されていた。
あの作品を見た日。
2019年、ジメジメとした暑い夏の午後。
昼間なのに外からは考えられないほど薄暗い。
空調が効かない建物の中も、何故かひんやりとした雰囲気を思い出す。
このインスタレーション作品は気楽亭の空間全体に「今自分は日常の外にいる」という空気を生み出していた。
ガタガタガタガタ、と全ての部屋の作品が終わると同時に揺れ出す障子の扉。飛び立つ飛行機の大きなプロペラ音。
その作品上の演出が
すぐ真上を通りゆく飛行機が起こす突風と、気楽亭に滞在した特攻隊の人々が抱いたであろう死に向かう胸のざわめきを想像させた。
気楽亭に滞在した青年たちに想いを馳せつつ、自分の心や頭が作品に呑み込まれていくのを感じた。一階の映像を見始めた時点で、作品を見る前の自分はもう確実にいないと分かっていた。
二階はプロパガンダに関しての映像作品だった。
すごく興味深かったのに2年もたっているから詳細を思い出すことは出来ない。記録しておけば良かったと今頃になって思う。
旅館アポリアはもちろんインパクトがあった。
でも何年経っても記憶に残る作品というのは、感情を丸ごと飲み込む力を持っていると思う。
印象に残る、で済む話ではないのだ。
インスタレーションは視覚情報だけでなく、自分の中の感覚がフルに使われる。
自分はこの文章を書きながら、インスタレーションのそういうところがとてつもなく好きだと実感している。
『旅館アポリア』という素晴らしい作品にはもうこの先誰も出会うことは出来ない。
アートフェスティバルが終われば、その街から殆どの作品は無くなり、そこの人たちや場所だけが残る。
それでもインスタレーションや展示をしたという記憶や事実はその土地から消えることはない。
これはあいトリのボランティアの研修で言われたことだが、本当にそうだなと終わってから思う。
懐かしく思い足を運んでも、自分の心を震わせた作品はもう豊田市にはない。
もう二度と見られない作品を懐かしく思ったり恋しく思う気持ちは、実際に作品に触れたものの特権であると思う。