自分の身では支えきれないくらいの承認欲求に呑まれそうになっている。今日の午後はずっとそんな感じだった。



歩いている時も、アルバイトの休憩中も、働いている時も、帰宅してご飯を食べている時も。

自分って誰も惹きつけることが出来ない価値の低い人間なのかな、どうしたら他の人みたいになれるのかな、と考えていた。




現時点では、誰かに必要とされたり興味を持たれることが私の承認欲求の吐口になっている。

これは今まで忘れていたことだけど、私はこれが欠けている状態に滅法弱い。



今の私にとって、誰かしらが自分のことを1番に考えてくれて大切に思ってくれていると確信できる状態はとても精神が安定する。



しかしそれに依存することは他者に依存することと同義。欠けた途端に承認欲求に呑まれることになる。


特に私は、自分の恋愛と自分の承認欲求が関連しているように思える。


思い返してみると、一人の信頼できる人と長い間お付き合いしていたときは、かなり精神が安定していた。でもその代わり、現状を打破したいみたいな強い感情は起こらなかった。


それに比べて今は孤独感が強い。

誰にも必要とされていないように感じたり、自分以外の友人達はどんどん前に進んでいるように感じたりしている。


自分の承認欲求を他人任せにしている時点で、自分はいつか親になれるのか?と不安になる。

必ず結婚して子供を産まなきゃいけないわけではないとわかっているものの、独身で生きていくのは怖いと感じる。

誰かと一緒に生きていきたいという思いはあるけれど、その誰かや産まれるかもしれないいつかの子供に自分の存在意義を見出すのは凄くリスキーだ。

自分にとってはそれを失う怖さと共存するというリスク。

相手にとってはその人自身の選択を狭めることになるかもしれないというリスク。


相手の行動や思考を縛ることを、凄く恐ろしく思う。何故ならそれを私は(そのときは気が付かないものの)自ら進んで発言などを通していとも簡単に行っていたことがあるからだ。

自分の不安は言葉になって、それを受けた相手を縛る。じゃあ自分の安心は言葉を通して相手を安心させることも可能か?




よくよく考えてみると、言葉に表したりきちんと考えたりはしていなくても相手に興味を持っていたり大切に感じていることは私の中でも多々ある。

だから自分を完全に周りから関心を得られない人間と判断することは冷静に考えると不可能だ。


文章に起こしていると少しずつだけど自分の脳を冷静にすることができる。不安は人の視野を狭くするというのは本当のようだ。



ここで私の最強の親友から先ほど頂いた自分の存在意義についてのアドバイスを、いつか見返す自分のためにペーストしたい。



私はね、そう思っちゃう時は、

「私は何に(誰に)貢献してるんだろう」

「私は何をそこにもたらすことが出来るんだろう」

「自分を必要としてくれる場所・人ってあるんだろうか」

っていうのを探って、

自分は、何かを得るというよりは、多くの事を与えている存在なんだなって思うようにしてる



やっぱり私の親友は最高だ。

もう他人からの興味や関心を得ているかどうかにこだわったりするのは辞めよう。そして他の誰かに優しさや愛情や思いやりを与えている存在になるのを目指そう。

彼女のお陰で、とてもいい目標ができた。



このブログは最近、考え方が頭に溜まった時に書いている。

今不安なことも、ふと思い返した懐かしいことも、文字にすると人生の中では同じくらいのページしか占めないだろう。



不安や承認欲求に惑わされずに生きていきたいものだ。



Salut!


majoring in French|interested in modern art

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