自分が女であるが故に
「フェミニズムについて学ぶのが精神的に辛い」
私は卒業論文のテーマとして、フランス近現代のフェミニズムアートを取り上げようとしている。
しかしその手が止まっている。
何故なのか考えていた。
だけど分からなかったから考えるのをやめた。そして自分の感情にスポットライトを当てた。そしたら気がついた。
フェミニズムについて知れば知るほど苦しいと思うのだ。
詳しく知る前は、女性たちが性別に縛られることなく自由に芸術活動をして、世間にも性別のフィルター抜きで認められることだけを考えていた。
でもフェミニズムの歴史を知れば知るほど、これまでの長い歴史で女性達は芸術という世界からどれほど除外されてきたのか実感した。
分かっていたはずで分かっていなかった。
どれほどまでに性別に関わる問題が根深いのかを。
最近、参考文献を読むのもしんどくなっている。心の疲れが凄い。
もはや最近の女性軽視などに関するニュースを見た時のショックも、増大している。
フェミニズムアートを研究する上で大事にしたいと思ったことは
女性だから、とか
女性のために、とか
そういうのはもう何もかも一概には言えないこと。
女性作家、と括ることはすべきでない。
作家一人一人それぞれの人生があって、それぞれの価値観がある。それを肝に銘じたい。
性別から開放されたアート業界を見てみたいが、私が生きている間にそれが実現することは殆ど不可能かも知れない。
じゃあどうやったら、買い手と観る人がジェンダーから作家を引き離して作品を純粋に見ることができるんだろう。
もっともっと勉強して、それに対する策を自分で生み出したい。
それなのにフェミニズムについて勉強するのが辛い。自分自身が、これまで長い間続いてきた「ジェンダー格差のある世界」の最先端に生きていることを実感するのだ。
ふと自分がジェンダーというフィルターを通して見られた時のことを思い出す。
"女なんだから勉強したって無駄"
と身内に言われた時の悲しみは凄まじかった。
でも今の自分ならこう言える。
It’s my business not yours.
That's not my way.
フェミニズムについて目を逸らしたく無い。これまでの女性達が築いてきた歴史をもっと知ることで、女性であることにも誇りを持てるかも知れない。
女性男性に優劣なんて存在しない。もちろん女性男性の枠とは違う性別も全てがイコールだ。
だけど、生きやすさはまだまだイコールじゃない。
自分たちだけじゃなく、自分より後に生まれてくる人達がジェンダーに縛られず生きている世界。想像するだけでめちゃくちゃ良いな。
若い世代である自分たちは何ができるかな?
よし、なんかブログ書いてたらやる気出てきたな?頑張って先行研究を読もうという気になってきた。
Salut!
