今回もリフレクティブジャーナルのつもりですが、あまり深く考えず書きます。
アート初心者の私があいちトリエンナーレの記憶を辿っていきたいと思います。
受動的な生き方をしていた私が、大学図書館に貼られていたポスターを見つけて初めて自分から参加したボランティア。
2018年頃から本格的に芸術への興味を持ち始めて、勉強の為には現代アートにも触れた方がいいだろうと考えて応募しました。
しかし結果として、このあいちトリエンナーレが私の人生を揺るがす程 現代アートの魅力を教えてくれました。
魅力的な作品のことを沢山書きたいので一つの記事に一つ書いていこうと思います。
あいトリのボランティア初日に触れた作品は、
しんかぞく≪レンタルあかちゃん≫
でした。
私にとって現代アートに触れる機会はこれが初めて、といっても過言ではありませんでした。様々な面で初めてなことがありました。
特に印象的だったことは、三つ。
一つ目は、現代アートは鑑賞者も巻き込むのだという発見でした。≪レンタルあかちゃん≫は体験型アートでしたが、それとは違う意味です。
来た人が「見る」だけじゃなくて「感じる」「考える」のが現代アートだと気がつきました。
可愛らしい雰囲気の中進んでいくこのアートは実はこの世に生まれてこなかった赤ちゃん達を作家の手で(来場者も含まれている?)作品としてこの世に産み落とす、というものでした。
凄く重たいテーマでした。
流産のメタファーになっている小さなプール展示物や、赤ちゃんに込めた作家の手紙がこのテーマにずっしりとした重みを与えていました。
二つ目は、作家に会えたことでした。
私は朝からしんかぞくさんの最後の展示室にいて、エプロンを着て、お客さんが来たら説明して…という役目をしていました。
そこで、短い時間でしたが作家に実際にお会いして少しだけお話しできる時間がありました。
これまでは自分が生まれる何十年も前に亡くなっている作家の作品しか見てこなかった私にとって「作家が生きている」状況自体、イレギュラーでした。
ここにある作品を生み出した人が目の前にいるだなんて、、と胸がドコドコドコドコ煩かったのを覚えています。話しかけたはいいものの、緊張してあまりお話しできませんでした。(でも皆さん凄く物腰柔らかで素敵でした。)
こんな優しい雰囲気の人たちが、ここまで痺れる作品を創り出してる事実に心底痺れました。いつかまたお会いしたいです。
三つ目は、制作ノートが読めたことでした。
しんかぞくの作家である和田唯奈さんが書いた制作ノートが最後の展示室に置かれており、来場者も読むことができました。
作品が出来上がるまでの努力や困難、工夫や思考がノートから伝わってきました。誠実に作品を作り出してきたのだなというのが伝わりました。それと同時に、制作ノートを置くというのが斬新なアイディアに感じました。(私はまだ美術館での展覧会にしか行ったことがないのですが美術系大学の制作展などではよくあることなのでしょうか?気になる…)
気がついたら作品への感想というより、作品の展示方法への感想になってしまいました…
申し訳程度ですがレンタルあかちゃんの中でも特に印象に残っている作品について感想を書きます。作品名と作家名がパッと出てこないものもあり、あかちゃんの名前で書きます。
「キリカ」というあかちゃんは、大きなウルウルとした瞳が四つ描かれていました。画面の端には黄色や水色が使われていましたが真ん中は赤黒く、爆発した内臓のようなグロテスクさを感じました。しかしそれを帳消しにしてしまうほど瞳が可愛いせいで、作品を見た時に感じる身体の内側に鳥肌が立つような不思議な感覚が何処から来るのか分からなくなりました。
「ももこ」はキラキラした白昼夢と悪夢の中間のような世界観でした。使われている画材やストーンが、原宿とかに置いても問題ないくらいプリティでした。でもよく見ると日本の神様?が持ってる羽衣のようなものを掴んでいたり内臓やオデコの装飾からまつ毛が生えていたりして、何処が何を表しているのかもっと作家さんにお聞きしたかったと心底感じました。
また最後の部屋じゃないのですがサイゼリヤの上の展示室にあったミヤタナナさんの作品は個人的に凄く可愛らしくて、でも構図が独特でとても好きでした。頭の上のグニャグニャした大きな物体と地面の色の違いが、幻想と現実の違いのように感じられて魅力的でした。
いつかまた絶対お会いしたい…そして作品に込めた考えをお聞きしたい…とこの記事を書きながら感じました。
今日はこの辺りで終わりにしようと思います。
Salut!
