
求職活動が閉幕した。
五月雨のあとにおとずれた快晴の中に、桜の残り香を感じ歩いた先日の夕刻。帰り道。
馴染みあるようで身と心が思うように馴染んでいかない故郷の景色を眺めながらバスに揺られていた。
乗車してもののわずかで、求めていた弧になれたわたしが脳裏に思い浮かべざるをえなかった記憶とやらはここ3~4年のものが大半だった。
望み通りの弧になって、身も心もびしょびしょに浸るその記憶たち。
美しいものばかりではないこと言わずもがな。
不思議なことに蘇るは、思い出というよりかは「ひとの顔」「ひとの声」であった。
脳裏を掠めるそれらは、ある日あるときすれ違った「ひとの顔」や「ひとの声」ではなく、ある日あるとき濃密で、それはそれはコクのある時間を過ごした「ひと“たち”の顔」であり「ひと“たち”の声」だった。
もちろん彼らと色々な場所で過ごした自身もそれらの記憶におまけのように付いてきた。
一番印象的なシーンばかりを切り取ったコラージュ写真のような、とても短いショートフィルムを頭の中で再生しながらバスの揺れを愉しんだ。
希望の停留所までの走行時間をこれほどまでに物足りなく感じたことなどない。
帰省してからの一年は、長かった。というよりか永かったという表現の方がとてもしっくりくる。
なにもかもが、もううんざりで、なにもかもが、もう散々で、なにもかもが、もう勘弁で、なにもかもが、戸惑い。であった。
でもそれらを口に、文字にしたところでそのうんざりさ、散々さ、勘弁さ、戸惑いの類から解放されるわけではないということを知っていたわたしは、ネガティブな気持ちのなにもかもを内に秘めるとても楽な手段を選び、時折おバカを演じてみたりもした。
その方が「楽」だと思った。
この「楽」という表現は「fun」という意味ではなくて、「easy」の方の意味に過ぎない。
そうして過ごしたこの一年は、言葉に表すことを生業とするわたしでも言葉に託せぬほどマーブル色した感情で埋め尽くされた期間であった。
身を置きたくない、でも身を置かざるをえない。
そんな場所でこれから培っていく経験が、いずれ心の底から還りたいと渇望する場所にもどることを可能とする橋渡しになってくれますようにと、今はそう願って日々をやりこなしていくしか他ならない。
でも不思議。
暮らしが変わる。
時間の使い方が変わる。
優先順位が変わる。
目覚める時刻が変わる。
眠りにつく時刻が変わる。
日々顔を合わせる人が変わる。
生活が、また新しくなる。
それはそうと、これからはライター業との二足の草鞋にもなるわけだ。
そうと考えれば不安なことは数えればキリがないけれど、実はちょっぴりエキサイティングでもある。
こんな二度と味わえないかもしれぬ状況を楽しまないなんて損でしかない。
だって、同時に2つのキャリアを積みながら生きることができるなんて贅沢だ本当に。
大嫌いだった、いいえ”今でも”好きになれない生まれ故郷で、東京では叶えることのできなかった2つの職に就くことができるなんてなんだか皮肉だけれど。
それでもいずれこれが、この経験がのちの栄養になると、キャリアになると、踏み台になると、信じている。
だからやっぱりこの言葉で今夜は締めたいなと思う。
自分自身のことを大切にしているあなたとまた再会できてうれしいよと。